郡山城の概要
郡山城の起こりは応保2年(1162年)に郡山衆が築いたとされており、当時は盛り土と策をめぐらした環濠集落のようなものであった。


後に城主であった郡山辰巳から筒井順慶に渡り、筒井氏の手により改修され天正11年(1583年)に最初の「天守」が完成したとされる。
天正
8年(1580年)には、織田信長が発した「破城令」によって郡山城は大和国に唯一の城となった。


筒井順慶が天正12年(1584年)に死去した後、豊臣秀吉の命により郡山城は弟の豊臣秀長に渡り、郡山城は大和、和泉、紀伊の三国100万石余の中心として豊臣秀長の居城となった。


また、秀長居城の際、それに相応しい大規模なものに拡大するために、城郭作りや城下町の整備が進んだ。
この時に箱元十三町といわれる新しい自治制度を始め、城下町の繁栄の為に商工業保護の政策として同業者を一地区に集め、営業上の独占権を与えた。


その後、徳川幕府時代の享保9年(1720年)柳沢吉里が甲斐の国から郡山に封ぜられ、明治政府ができるまでの間、柳沢氏がこの地を治めた。


今回再現したCGは、天守の再現も含め郡山城と城下町が最も栄えていた豊臣秀長、秀保の治めていた1590年頃を想定して制作した。
再現範囲は、国立公文書館所蔵の和州郡山城絵図にある約1.5km四方の範囲である。

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