経済学部

  

 


ウエダ ヒトシ
植田 均
Ueda Hitoshi

経済学部 教授



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 1953年奈良県生まれ。幼少の頃は 脆弱で引っ込み思案。

 将来のことを考える年齢になり、当時アメリカ大統領ニクソンが選択を決定付けてくれた。即ち、日本を頭超えして訪中した「事件」は、日本を震撼させただけでなく、私に「学ぶのは中国語しかない!」気持ちにさせたのである。

 中国は、当時、文革後期で半ば鎖国状態であったので、彼の国の情報はわが国には皆無であった。このため、新聞社の北京支局特派員にでもなれたらと考えたのである。

 大学1年生の秋、日本は中国と国交正常化となり、国中が大いに沸き立つ。その時4年生の先輩方は「中国語専攻」の理由だけで大手企業へ次々と就職が内定した。

 ところが、3年後の私の段階になると、第1次石油ショックの後遺症で空前の就職難(超々氷河期)を迎えたのである。かくして、特派員の夢は無惨にも打ち砕かれた!

 しかし、「読み、書き、聴き、話す」訓練を誰にも負けない位実行した自負があったので、中国語と無縁の仕事には絶対に就きたくない。
 このような折り、偶然にも大学4年生の私に「大学非常勤講師」の話が京都K短大(理事長)より、舞い込む。「そうだ!中国語教員の道が残っているかもしれない!」

 このときより、プラクティカル・ランゲージから180度転換し、「学問としての中国語」との格闘が始まる。

 学問は、香坂順一、宮田一郎両教授の直接指導を受けた。また、間接的には太田辰夫教授の影響も強い。

専攻科目
 中国語学

研究分野
 
中国白話語彙史

現在の研究

 日常語の変遷史。宋、元、明、清あたりから現代にいたるまでの語彙史研究。

   <研究課題: 漢語方言語彙史研究>


趣 味

 1 中国各地探索:単なる書斎科学だけではなく、実際に自分の足で巨大ビルから路地裏まで、庶民の生活・文化を窺うこと。これは、様々な形で役に立っている。
 2 中国易学:要するに、モノ(機械)ではなく、者(人間)が好きなのです。

   <写真>
   「アモイ大学茶文化研究所訪問」(2001年9月)
   「アモイ島の日光厳寺」(2001年9月)

地域貢献
 「中国語検定試験・奈良会場総責任者」
 「中国語検定試験・1日講習会実施総責任者」

最近感じたこと
 恩師香坂順一先生(元大阪市立大学教授、元大東文化大学学長、前日本中国語検定協会理事長、元NHKテレビ・ラジオ中国語講座講師、元日本中国近世語学会会長、元国際交流事業団理事長)が2003年7月に逝去された。享年88才。奇しくも私の義母と全く同じ通夜、告別式だったのでお膝元へ馳せ参じることができなかった。悔やまれる。
 「人間は必ず死ぬ」 これが実感として受け入れられる年齢になった。だからこそ、今を一生懸命に生きなければならないのである。「寄り道」している暇など到底無い。