Fred Hoyle's Universe

Edited by Chandra Wickramasinghe,
Geoffrey Burbidge and Jayant Narlikar
(Kluwer Academic Publishers)


評者:藪下信


本書は,2001年8月に死去した,英国の天文学者Sir Fred Hoyle(フレッド・ホイル卿)の功績を,称えるために英国のCardiff(カーヂフ)大學で行われた会合で発表された論文というか,エッセイを集めて,出版したものである.とくに,編集にかかわった研究者らは,Hoyleといくつかの共著の論文を書いている.Hoyleは,20世紀を代表する天文学者であることには,だれも異論をはさむものはないと思われる.この本を題材にして,Hoyleの業績を振り返って見たい.

まずHerman Bondiが1942年から49年にかけての,研究について振り返る.BondiがHoyleをしったのは,Cambridge(ケンブリッジ)大學を離れて,戦時中のレーダー研究においてであった.しかし,戦時中であったにもかかわらず,Hoyleと共同で天文学の研究を行い,accretion(アクリシヨン,付着増大)と呼ばれるテーマについて,論文を発表している.この研究が中心となって,Bondiは戦後Cambridge大學Trinity Collegeのfellow(研究員)に選ばれる.Cambridgeに戻った二人はそこで,宇宙論に関心を持つようになる.BondiはそこでT. Goldと知り合い,定常宇宙というアイデイアにたどり着くが,Hoyleも同じアイデイアを得る.少しアプローチはことなるが,基本的なモデルは同じであって,Bondi-Goldの論文とHoyleの論文は,英国の学会誌の同じ号に出版される.Bondi,Gold,Hoyle,それにLyttletonはいくつかの論文を共同で書いたりしているが,その後,BondiとGoldはCambridgeから離れて,別々の道を歩むこととなる.運命は奇妙なもので,BondiはのちにChurchill Collegeの学長となって,ふたたびCambrideに戻ってくるのである.

Bondiのエッセイにつづいて,M. Burbidgeがアングロオーストラリア望遠鏡について,のべている.彼女は英国出身ではあるが,夫のG. Burbidgeとともに,アメリカのカリフォルニア大学で,大半の研究生活を送った.Burbidge 夫妻,Hoyle,それにW. Fowlerが行った星の内部での,原子核反応の研究は20世紀科学の古典といえる論文である.一時期,Hoyleの推薦で,王立グリニッジ天文台の台長を勤めたが,行政職は時間の無駄と悟って,早々とCaliforniaに戻ってしまった.なおこの天文台はいわゆるサッチャー革命の対象となって,現在では消滅してしまった.

星の進化についてのHoyleの貢献については,L. Mestelが詳しい紹介を行っている.MestelはHoyleに学生として指導を受けた最初の学生であり,かれを良く知りうる立場にあった.まず20世紀の前半に行われた研究に簡単に触れたあとで,Hoyleが幾人かの研究者とどのような研究成果をえたかについて,かなり詳しい説明が与えられている.なお,星の進化については,Hoyleの学生であったR. Taylerが書くのがより適していたかも知れない.宇宙に存在するヘリウムがどのような状況下で水素から作られたかを共同研究していたからである.かりにビッグバンで宇宙ができたとしたら,そのときの名残りが,今では黒体放射として,残っているかもしれない可能性にはきづいていたが,論文にそのことは書かなかったと,評者の家で,語っていたことがある.長年,王立天文学会の雑誌 Monthly Notices of the Royal Astronomical Societyの編集長であったが,数年前に残念なことに癌で死亡した.

さらに幾人かによるエッセイのあと,宇宙論が取り上げられている.まず,Martin Reesが宇宙のいくつかの定数の奇妙さについて説明する.というのも,現在の宇宙は,いくつかの物理定数の実際の値と,たとえ少し異なっていても,宇宙は現在われわれが知るものとは大きく異なり,おそらく生命ははぐくまれなかったと思われるのである.これは現在真剣に議論されているテーマであるが,Hoyleはこのことにきづいた最初の天文学者なのである.太陽のような星の内部での原子核反応がおこなわれるためには,炭素と窒素のある物理的な性質(エネルギー準位)が非常に特別でなければならず,なぜそうなのかは,偶然としてはうまくできすぎているのである.このことについて,もし値が少しでも現実のものと異なっていれば,星の進化は異なったものとなり,結果としてわれわれ人類は存在せず,そのような奇妙な値について,思い悩むということすらないであろうとの見解をHoyleはとった.ようするに,理論的にはいろいろな定数からなる宇宙を想像はできても,そのような宇宙には,人類は存在しないのである.なおReesはHoyleが天文学教授のポストを辞任したあと,そのポストについた理論家であって,評者がHoyleが創設した理論天文学研究所でvisiting fellowとして研究していたおりには,そこのgraduate staffとして研究していた.なお,ブラックホールの研究で著名なS. Hawkingもgraduate staffの一員であった.ReesはしばらくしてSussex大學に移ったが,再びCambridgeにもどり,現在はTrinity Collegeの学長(Master)である.

継いて,J. V. Narlikarが遠隔作用原理について説明する.NarlikarはHoyleの学生として,宇宙論の理論的な基礎について,いろいろと研究を行ってきた.宇宙論の理論的モデルを研究するするにさいして,普通は一般相対論にもとづいて行われる.それはMach(マッハ)の原理を取り入れることを目的として,構築された.かりに宇宙にただ一つの地球があったとして,それが自転しているかいなかはどのようにきまるのか.自転しているのは,遠くの星々からみて自転しているかいなかがきまるのであるが,一般相対論では,物質の一切ない空間も存在しえるので,そこで地球の自転は,いったい何に対して自転しているのかが,決められない.HoyleとNarlikarは,この問題を解決するために,遠隔作用の理論を提唱し,そのなかに物質創造の項を用いこんで,定常宇宙論の根拠とした.

これにつづいて,W. M. Napierが異常赤方偏位の問題を取り上げる.これは,Hoyleが進化宇宙モデルを認めようとしなかったひとつの問題である.宇宙には,準星と呼ばれる天体がある.これは,見かけは銀河ではなく星のようにみえるのだが,とてつもなく巨大なエネルギーを放出している.そして,そこから放出される光の赤方偏移が宇宙の膨張によるものであれば,きわめて遠くにあると推論される.そして,この準星が宇宙のある時期に多数存在していたものとなり,進化宇宙の支持材料となる.他方,赤方偏移が大きく異なる準星と普通の銀河とが,橋のようなもので結ばれているケースがかなり見出されている.これは,赤方偏移がかならずしも,宇宙の膨張によるものでないことを示すのではないか.とすれば,準星の赤方偏移はかならずしも,遠方にあることの証拠でないこととなり,定常的な宇宙モデルを支持することとなる.California 大學のHalton ArpとHoyleは,後者の立場をとりつづけていた.Napierはこの問題をとりあげ,準星や銀河の赤方偏移は,いろいろな値を連続的にとるのではなく,飛び飛びの値をとる(周期的である)という主張が,観測データをもとにした統計的な解析からみちびかれると主張している.これが事実とすれば,現在広く受け入れられている進化宇宙モデルは何らかの形で,修正を受けなければならないのではなかろうか.

最後に,Hoyleが強い関心を持っていたのが,宇宙と生命との関係である.Hoyleはいわゆるパンスペルミアの立場にたっていた.パンスペルミアとは,生命は宇宙に広くあまねく存在しているという主張であるが,これを最初に科学的にとりあげたのは,化学者のアーレニウスである.彼が考えたパンスペルミアは,太陽系のどこかの惑星で生命が存在したとする.そこからなんらかの形で生命の種(胞子)が放出されれば,光の圧力によって,それは重力の代わりに放射圧による斥力をうけて,小さな胞子は他の惑星にもたらされるのではないか.そこでその胞子をもとに,ふたたび,生命が増殖するだろう.これが,アーレニウスの考えたパンスペルミアである.最近,火星から飛来したと思われる隕石に生命の痕跡が認められるという報告がなされているが,これが確かめられれば,パンスペルミアは正当な科学として認められることとなる.

Hoyleのパンスペルミアはもっと極端なものであった.じつは,いろいろと主張を変えたので,どれをもっとも中心的に考えたのかが,わからないのであるが,おおまかに言えば,二つの主張がなされたように思える.ひとつは,生命(細胞,ヴィールス)は彗星の内部で増殖し,それが時折地球にもたらされて,流行病の原因となるということ.もうひとつは,星と星の間にある,いわゆる星間物質のなかのチリの部分は,バクテリアなのであるとする主張である.

前者の説については,仮に,彗星のなかに,溶けた水があれば,そこで,バクテリアが増殖することはあり得る.放射性物質の崩壊によって発せられた熱で加熱されれば,溶けた水が存在しうることは,M. Wallisや評者の計算で示されている.アンモニア,メタン,シアン化水素,エタンなどは彗星の中に存在することは,しられているので,溶けた水さえあれば,これらからアミノ酸が合成されうる.したがって,生命の発生の場所として,考えられないことはない.

第二の可能性については,Hoyleは実験で確かめることが可能であると主張した.少し細部に入ってしまうのだが,物質の同定のしかたのひとつに,分光学的手法がある.たとえば,太陽にどのような元素があるかを知るのに,太陽から来る光の特性を,地球上の物質のそれと比較するのが,ひとつの例である.Hoyleは,もともと星間物質のなかのチリはグラファイトであるとの理論を提唱し,それがいわゆる星間減光の曲線とよく一致すると主張していた.しかし,パンスペルミアの立場にたつようになってからは,星間減光は,バクテリアの示すそれと一致すると,主張したのである.評者はこの主張には強い印象をうけた.一見突拍子に思えても,その仮説を科学的根拠を持たずに,否定するのは,間違っているのではないか.このようにして,たんぱく質の典型である大腸菌の分光測定,さらには,有機分子を含む炭素質隕石の,分光学的測定などを,その道の専門家とともに行い,Hoyleらの主張は支持し得ないとの結論に到達した.実はこの結論にいたるには,おおよそ10年の年月を必要としたのである.ただし,この本には,その間の事情はまったくふれられておらず,いわゆるありそうな理論が,いろいろととりあつかわれていて,どこまでが科学的根拠があり,どこからが,単なる想像分野に属するのかの見極めがつかみにくい.

Hoyleの経歴を振り返ると,まず最初には,天文学の重要な問題のいくつかについて,きわめて重要で正当な成果を導いている.それはノーベル賞を得てしかるべきものであり,事実星のなかでの核反応によって,星がどのように進化していったかを解明した論文の共著者であるW. Fowlerはノーベル物理学賞を得ている.しかしその後,正当とされる理論の枠組みでは,説明がつきにくい現象に目をうばわれるようになり,おおくの問題を取り上げて,いわゆる説明を与えうる視点を提供したが,残念なことに,広く受け入れられるにはいたっていない.この本で取り上げられているテーマのなかにも,そのようなものが,ふくまれている.このことは,現在の天文学や宇宙論が,完全な枠組みとはなっていないことを示しているのかも知れない.そのような意味合いにおいて,本書は読者にいろいろと考える刺激と材料を与えるのではなかろうか.