宇宙を支配する6つの数

マーチン・リース 著, 林 一 訳
(草思社)


評者:藪下信


この宇宙はいったいどのようにしてうまれたのか,それは無限に広がっているのか,この宇宙には,われわれ人類と似たような生物はいるのか,いないのか,われわれがここにいるのは,まったくの偶然なのか,それとも,なにか大きな意思が存在して,われわれはその意思に従って,生化されているにすぎないのか,これらの問いは人類が,自らで考える力を持つようになって以来,絶えず問いつづけて来た疑問である.

たとえば,キリスト教,ユダヤ教の経典である旧約聖書の最初,創世記には,神が初めに天と地を作られたとある.宗教はそれぞれに,宇宙開闢の物語を持っている.また,化学者のアーレニウス(ノーベル賞受賞)に史的に見た宇宙観の変遷という書物には,いろいろな宇宙に関する見方が紹介されている.時代は変わり,文明はかわっても,この問いは,必ず取り上げられる根源的なものなのである.

ただ,20世紀において,この問いに対して解答できる準備というか,観測面でのデータの蓄積とそれらを解釈する理論的枠組みがそうとうに整えられてきた.したがって,宇宙がどのようにしてうまれ,どのように進化してきたのかということが,かなりの確信をもって答えられるようになってきたのである.そしてそのひとつの結論が,この本の題名にある,いくつかの基本的な物理定数の果たした役割であって,これらの定数が,実際とは異なっていれば,おそらく宇宙は今とは異なった姿をしていたであろうし,さらに,われわれ人類は存在しなかったであろうということなのである.

ここでは少し,現代宇宙論の展開についていくつかの基本的な事実を説明しておいて,本書の解説に進みたい.

宇宙論の学問的展開には,三つの大きな契機があった.ひとつはアインシュタインの一般相対論の発見である.まず相対論を宇宙全体に適応して,そこからいくつかの理論的モデルがみちびかれた.他方観測面では,いくつかの大望遠鏡が設置されて,データが蓄積され,ハッブルの法則(スペクトル線の赤方偏移に大きさはその銀河までの距離(銀河のみかけの明るさから推定される)に比例する)が,遠くの銀河にたいしても成り立つことがたしかめられた.赤方偏移がドップラー効果によるものとすれば,遠くの銀河ほど早い速度で,われわれから遠ざかっていることになり,これを延長すると過去のある時点において,すべての銀河は一点に集中することになる.これが宇宙の始まりであろう.ガモフらは,このときにいろいろな元素が水素から作られたとした.いわゆるビッグバンである(この命名は,後になってF. ホイルが行ったものである).さらに1960年代には,このビッグバンの名残と考えられる,宇宙のあらゆる方向から来る放射(温度に直すと絶対温度で3度)が発見された.

ここで,電子の理論で有名なデイラックが登場する.彼はいくつかの無次元数に着目した.無次元数とは,たとえば円周率のように,それ自身は長さ,重さ,時間の単位をつけなくても意味のある量である.たとえば,宇宙の始まりから現在までの時間を,年を使ってあらわしても,それは物理的に意味を持たない.年というのは,人間が恣意的に作りあげた単位だからである.物理的に意味のあるのは,たとえば,電子の半径を光が通過するのに必要な時間であり,宇宙の年齢とされるものも,これで表して,初めてどれだけ宇宙が大きいかが理解される.これら二つの時間の比は無次元量であって,おおよそ10の39乗である.これ以外にも,いくつかの大きな無次元数がある.ディラックはこれらは大きな数ではあるけれども,これらの間にはある種の簡単な関係があるはずだと主張し,これを大数仮説となずけた.ディラックによれば,宇宙を支配するのは,これらの無次元数の間に存在する関係式ということになる.

他方,星の内部で起こっている核反応からも,面白い数がみちびかれた.太陽のような星のなかでは,ある種の核反応によって,水素がヘリウムにかえられている.ところで,この分野で研究をしていたF. ホイルはあることにきづいた.それは,核のエネルギー準位とよばれるものに,ある反応の進む割合が大きく依存するが,その凖位の値は当時良く知られていなかった.しかし,生物の存在には,C,N,Oのような元素が存在することが必須である.それで,ホイルはこの凖位の値として,現在知られているくらいのC,N,Oが作られるような値を仮定して計算をすすめ,その正しいことが後になって実験的にたしかめられた.このころから,生命の存在は単なる偶然ではなく,自然界のいろいろな法則が生命,ひいては人類の存在を可能ならしめるようなものではないかとかんがえられるようになってきた.Anthropic Principle(人間中心原理とでも訳すべきか)である.この原理の主張するところは,かりに現在とは異なった宇宙があったとしても,そこでは人類は存在しえず,したがって,その宇宙の存在について考察する生命もないから,存在してもしなくともおなじである.いくつもの宇宙のうち人類の存在を可能ならしめるものだけが,存在しうるのだと.

このような観点からすると,たとえ基本的な物理法則は同じであっても,そこにあらわれる定数,たとえば,電子のもっている電荷であるとか,万有引力定数とか,光の速度とかが実際の値と異なれば,われわれが知っている宇宙とはまったく異なった宇宙となり,そこでは,38億年の時間をかけて人類は進化しなかったと推論される.このような観点からいくつかの基本的な定数として,六つの数がみちびかれるとするのが,本書の著者の主張であり,その主張に沿って,いろいろな現象に説明がくわえられている.

リースによれば,宇宙をして,今あるすがたにしているのは,上に紹介した大きな数にくわえて,核融合反応によって物質がエネルギーに変えられる割合,宇宙の膨張に伴う運動エネルギーと宇宙全体の重力エネルギーの比,空間の次元数(=3),近年になって見出された宇宙膨張の加速にかかわる数,そして銀河の集まりである銀河団の持つ重力エネルギー(銀河団に属する銀河を互いに無限の遠くにまで持っていくのに必要なエネルギー)とその銀河団が持つ静止エネルギー(質量×光速の二乗)の比である.

本書を紐といていると,近年の天文学者がどのような問題に関心を抱いているかがよく理解される.また評者の手許には,1960年に出版されたH. ボンデイの宇宙論,1979年出版の「現代の宇宙像」(M. リースをふくむ数人の学者の公開講演の要約)があるが,これらの内容と本書の内容を比較すると,いかに宇宙論という分野が進歩を遂げたかがよくわかる.また現在の宇宙論は大きく誤っていることは無いだろうという著者のある種の自信も伝わってくる.広く科学に関心のあるかたがたに,一読をお勧めしたい.ただ,些細なことかもしれないが,ひとつだけ触れられていないことがある.それは,赤方偏移の値が飛び飛びとなっているという結果が一部の研究者から報告されていることである.著者はこれをいずれデータが集積されていけば,滑らかな分布になっていくだろうという想定のもとに,わざわざ取り上げなかったのかも知れない.

最後に著者について紹介しておきたい.マーチン・リースは英国のケンブリッジ大学の出身.評者が理論天文学研究所(F. ホイルが設立)のvisiting fellow として研究していたい1970-71年には,その研究所のgraduate staffの一員(その中にはブラックホールの研究で有名なS. ホーキングも含まれる)であった.その後,サッセクス大学に教授として転出.ホイルが教授を辞任したあと,その後任の地位についた.その後,Astronomer Royal(王立天文官とでも訳すべきか)に任命され,英国の天文学会からゴールドメダルなどの賞を得ている.2004年にはケンブリッジ大学トリニテイ・カレッジ(Trinity College)の学長となり,まさに功なり名を遂げたといえる.というのも,このカレッジはヘンリー8世の創立になるもので,旧ソ連とフランスのノーベル賞受賞者を合計したものよりも,多くの受賞者を卒業生の中から輩出している名門中の名門カレッジであり,そこの学長としての地位は,どのような大学の学長の地位も比較にならないと言えるからである.