『醒世姻縁伝』序(徐志摩)
去年の夏、私は病床で胡適先生より小説を借りて読んだ。それは木刻版の『醒世姻縁』であった。二つの大函に20冊の本である。
開けてみると、紙は茶色に焼けていて文字の印刷も不鮮明である。線装の糸は切れており、各葉には紙魚<シミ>の喰った痕があった。紙はもろくて薄い。さながら竹の衣の如くで、手が触れると破けてしまう。私はベッドで少しめくってみたが、気持ちは落ち着かない。というのも、紙片は蝶々の鱗粉のようにパラパラとこぼれ落ち、浮遊してしまうからである。
困った。木刻版は、備えには良いが、見るのには適さない。この20冊の本はどのようにして最後まで読み終えればよいのか?結果、半分も読まないうちにやめてしまった。
1日おいて、胡適が見舞いに来てくれた。
「『醒世姻縁』はどうだった?」
私は眉間にしわを寄せて、
「あの本は本当に困ったものだ。手に取ると鱗粉になってしまうのかと、そればかり気になる。だから、ストーリーが面白くても夢中にはなれないんだ」
胡適は大いに笑って、
「それは君を咎められないな。ただ、本自体は悪くないから、病気で退屈だろう、読めばいいのに。じゃ、こうしよう。亜東<出版社>がちょうど新たに印刷しているので、一部ゲラが僕の手許にある。それは洋紙にインク印刷していて、標点もついている。これならとても見やすいよ。一部届けてやろう」
果たして、随分見やすい。これによって、すぐさまのめりこんでしまった。病気のことも忘れ、暑さも忘れ、一日中、また、夜通し読んだ。
目が疲れようが、ひっきりなしに笑いがこみ上げてくるのである。
妻が私のこの魅入られた様子を見て、初め勧告してくれたが、後には罵るようになった。そして、ついにその本を奪い取る行為に出た。
「どこが面白いの?」
怒気を含んで妻は続けた。
「こんな暑いさなかに、ベッドでねそべって、火に当たっているようなものよ。命が惜しくないの?これ以上読むのなら、その本を燃すわよ。本当にやりますからね!」
私はちょうど本の中の怒りの表情と妻の怒りの表情とを見て、余計におかしくなった。私が愉快にしていると、妻は一層怒る。
幸い、妻は文字が読めた。しかも、小説大好き人間ときている。そこで、頼んでみた。
「なあ、冷静に話し合おうよ。僕が少し見せるから、万一、面白くない、または、吹き出すこともないならば、ぼくはあっさり負けたとしよう。そうなれば、持っていって好きにしていいよ。破るなり、燃すなり、どうにでも!」
妻がまだ答えない先に、僕はやおらぺ−ジをめくって見せた。
それは、徽州人汪為露の箇所あったかもしれず、智姐が急智を出すくだりだったかもしれない。狄希陳が「監獄」へ入れられる場面だったかもしれず、はたまた相于廷が“表兄降内”の所、白尼さんが悪党を遣って先生を招く回であったかもしれない。よくは覚えていないが、どの章回も全てうまくいった。
私が声に出して読むと、妻は初め口をとがらせ、まだ怒っていた。けれども、続けて読んで行くと、妻の目も続いて上下に動いた。更に読み進むと、妻は口を開けた。そして、
「ハハハ」
と、笑いもこみ上げてきた。
突然、妻は笑うのをやめた(私はびっくり)。
そして、手を伸ばして、
「私にも見せてよ!」
何日間かは続け様に読んだため、目が腫れ、腹は笑いで痛くなる。この本は本当に面白い。
読み終えると、意見を同じくして言った。
「少し大げさに書きすぎるね。世の中に夫を踏みにじる妻は多いが、素姐のようなひどい女はいないだろう」
「ダメ夫も多いが、狄希陳のような軟弱なおっともそういないだろう」
本は面白いので、人に会えば本を褒めた。また、早朝から夜中まで本の中の妙文を思い出し、しょっちゅう大笑いしたものだ。
二
作者は西周生とする。ほどなく、胡適から蒲松齢の作だと聞かされた。はじめ、私は信じなかった。それも『聊斎志異』と『醒世姻縁』の間で相似るところが見いだしにくいからである。
しかし、胡適のいう話では、証拠があるという。
確かに、『聊斎志異』の筆致とは同類ではないが、北京出版社の『聊斎白話韻文』を見れば、そういう白話が書けるのだから『醒世姻縁』を書けない訳がないというのである。
蒲松齢の作品は多い。我々が見たこともないもので、新しく馬立員力が多くの原稿を発見した。それも、現在整理印刷している最中である。
『聊斎志異』についても、『江城』や『馬介甫』の物語はどうか?江城と楊尹氏は素姐の影が強く、高蕃と楊万石は狄希陳を醸成する素地がある。
蒲松齢先生は、見聞したものの多くの事件を、時にはこの世界を超越して、つまり、常識では解釈できない事象を「因果応報」の思想を導入して解決を図ろうとした。この思想以外に、更に良い思想は無い〜である。
人の世において、仲睦まじい夫婦は「良縁」(良因縁)という。しかしながら、どの夫婦も良縁によって結ばれているのではない。
蒲松齢は、「大きな怨恨が果たせなかった場合、今世で夫婦となる」とする。
これは、どういうことか?「怨恨を晴らす」には、夫婦になるほどうまく行く方法はないと、主張する。
(中略)
狄希陳が素姐を怖がるのは、原因は「宿怨」である。しかし、読み進むにしたがって、狄希陳のような男は確かに嫌な奴だと感じざるを得ない。
彼のひどい目に遭う姿は可哀そうであるし、素姐の「夫虐待」の酷さも一回切りでもない上、十分な理由もなく発揮される。
狄希陳は、まさしく天下広く惰弱夫を示した明鏡である!全書の構成も全般的に良いのであるが、前22回が主人公の前世を説いていて、余りにも長すぎる楔子(まくら)の感がする。しかしながら、全編にわたりどの章回も生き生きとしていない処はなく、「退屈」する箇所もない。
さながら一幅の大気が漲った『長江万里図』のようで、我々はどうしてその前に鑑賞してひれ伏さないことがあろうか!
1931.7.10 志摩
(植田均 抄訳)
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