『醒世姻縁伝』 2002年7月26日更新
再版 前言 (黄粛秋)
本書に対する見解を書こうとして30年の長きを数える。遅々として筆が進まぬのは、依拠するのが無かったにすぎない。魯迅の『中国小説史略』を開いてみると、『品花宝鑑』の類は章を設けて論述している。その中で、唯一、遺漏しているのが『金瓶梅』と『紅楼夢』の間に位置する『醒世姻縁伝』であった。
人々は懐疑の念を禁じ得ないであろう。これほどの100万字の長きにわたる大著が、これほど生き生きとして、真に迫る魯東の中都市の市民生活が描写されている著作、そのはつらつとして、自由奔放な筆致は、古今にわたる説部の中では貴重な小説であるからだ。
魯迅先生の卓識を以てすれば、どのようなことがあっても放っておくはずがないであろう。ことによると、魯迅先生は当時この書を読んでいなかった(私は『魯迅日記』及び"買書帳"などの記載を調査したことがある)。または、胡適、徐志摩両者が全力でこの書を褒めそやした時に、魯迅先生は故意に身を外へ置き、かかわらないでおこうとしたのであろうか。
とまれ、いかなる理由があっても、魯迅先生がこの書に対して貴重な見解を後世の人に残さなかったのは事実である。
それだからこそ、この書について、いよいよ私が、言語芸術の上で特色ある作品ゆえに、正しい評価を出す責務は避けられない。
『醒世姻縁伝』は、国内で大きな影響を及ぼしただけではなく、海外にも大いに広まっていった。1960年くらいに、チェコスロバキア東方漢学研究所所長プ−スク院士が科学代表団を率いて我が国を訪問した時に、人民文学出版社へいらして私と会ったことがある。
主に、『醒世姻縁伝』の作者の問題に話が及ぶ。彼はかつて『聊斎志異』をチェコ語に訳したことがあるので、蒲松齢のその他の作品について、とても関心があったようだ。とりわけ、『醒世姻縁伝』を蒲松齢の作であると考えておられた。私は、それには反対の立場であったが、さりとて、当時は別の証拠を提出しなかった。
本書は、言語が豊富で、溌剌、生き生きと、具体的に描かれている等の特徴がある。しかしながら、多くの方言土語の理解に難儀し、我々に『金瓶梅』の中へその答えを捜させに行かせる。幾つかの語彙は、現在でもなお未解決である。例えば、"歩戯"はこの1つ。
古典戯曲劇目の整理・発掘という仕事上、陶君起は、私のごく親しい友人である。かれが生前のとき、教えを乞うことはなかったが、今日に至るまで、その欠点を補うことができなくなってしまったことを遺憾とする。
この書を整理してゆく過程で、呉暁鈴同志は私の為に多くの原書の底本を物色してくれ、道銓兄は私に十二種の底本の一種を校閲手伝いをしてくれた。孫子書先生は、蔵書の旧本助校借覧して下さった。これらは、筆者が修正忘れられない厚徳である。再版を出すに当たり、ここに深く謝意を表す。
黄粛秋
1983.9.18
[附記]
本書は、卑猥な箇所を削除せざるを得なかった。初版の「前言」でも述べたが、再版に当たり、不適当な阿書、例えば、第66回、67回の両回は改めた。
(植田均・訳)
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