上海
───その経済と人々───

                              植田均

(一)私と中国とのかかわり

(二)隣国・中国を知る意義

(三)中国人のものの考え方

(四)タテ軸(歴史的)とヨコ軸(地理的)の流れから

(五)タテ(歴史的)の流れをハード面から
@高速道路
A地下鉄
B東方明珠(新しいTV塔)
C高架大橋(現在は二つ、将来は四つ)

(六)タテの流れをソフト面から
@外匯(兌換券)の廃止
 A食糧券の廃止
 B語彙の変化
C就職活動の自由化
D食べ物の味が良質となる

(七)ヨコ(地理的)の流れから
@田舎との比較
  A首都北京との比較

(八)経済発展しても不変のもの
@贈答品、土産
  A冠婚葬祭
 B笑顔





(一)私と中国とのかかわり
 ただ今、ご紹介にいただきました植田でございます。今回、主催者の方から「上海─その経済と人々─」と言うテーマで講演の依頼を受けました。私は経済の専門家ではありませんが、自分の目で見、足で運んで実際に感じとったことを述べたい考えています。
 ここ何年かは一年のうち、二回、春休みと夏休みを利用して、中国へ研究、調査をしに行っています。その際、関空から飛び立ち、着くのがほとんど上海です。上海を拠点とし、中国各地へ足を延ばすのです。上海へは飛行機で約二時間で着きます。本当に近いものです。したがいまして、私などは、自宅の大和郡山市(現在、生駒郡三郷町に転居しています)から、大阪・梅田へ出るような感覚なのです。
 今、研究、調査に行くと申しましたが、私の専門は、中国の語彙の歴史の研究です。今から約1000年前の宋代あたりから元、明、清を経て、現代中国に到るまでの言語の意味及び用法の変遷です。例えば、“湯”tangというのは「スープ」の意味ですが、今から約700年前の《水滸》という当時の口頭語を反映した小説には「お湯」として用いられています。ではいつ頃から「スープ」に意味が変わったのか?また、現代語でも、「お湯」の意味で、口頭語、即ち、話し言葉として用いている地域がある。それは、どの地方なのか?この様な研究なのです。自分の研究を本場の大学の専門家の前で発表し、ディスカッションし、なお、一層の研鑚に励む。これが主な目的です。これ以外の時間は、現地の生活文化の調査です。
 なぜ、言語研究に、中国人の生活、習慣を把握しなければいけないのか。それは、「中国人の懐の中へ入る」ということなのです。そうして初めて、本当の言語が理解できるのです。いつも理性的に捉えてしまいがちな外国人である我々の視点から脱却しなければ、本当の言語研究は不完全なのです。

(二)隣国中国を知る意義
 では、なぜ、中国の方々の生き方、国情を理解しなければならないのでしょうか。何年か前に、長崎県大村の港湾税関の係官が一人死亡した事件がありました。原因は「過労」です。なぜ過労になったのでしょうか。それは1度に2000人から2500人もの偽装難民が押し寄せて来て、その対応に昼夜を顧ず、当たらなければならなかったからです。2000人で1人死ぬなら、2000万人の人が、どっと漂着すれば何人の税関係官が死ぬのでしょうか?1万人ですよ。12億とも言われ、人口統計すら正確にはとれない中国の総人口からすれば、2000万人という数は微々たるものです。上海という一都市分だけに過ぎないのです。  このように、良きにつけ、悪しきにつけ、日本は、中国から、かなりの影響を受けると思われるからです。また、隣国、隣人であるにもかかわらず、本当の所は、お互いに殆ど分かっていないのではないでしょうか。  私は、現地の人々に、「日本について、何を連想しますか?」と訪ね、調査したことがあります。その答えは、「TV、冷蔵庫、電子レンジ、テープレコーダー、クルマ・・」。いわゆる機械製品ばかりです。これは、まだ良い方で、すぐに、前の戦争のことを持ち出す人もいます(ただし、私の真の友人は、前の戦争のことなど絶対に持ち出しません)。
(三)中国人のものの考え方
 我々、日本人と中国人とは、見た目では、全く見分けがつきません。特に、上海人の場合には、垢抜けていますから。ところが、ソフト面と申しますか、頭の中味の方は、我々日本人とは全く異なっているのです。
 例えば、我々日本人は、昔は「お国のため」に、そして、今は「会社のため」に仕事をしてきました。「企業戦士」等と言われて、時には家庭を犠牲にしてまで働いてきました。「自分」や「自分の愛する家族」を顧ず、黙々と勤め上げてきたのです。ところが、中国人は、一般論としては、この逆です。そして、その傾向は、学生よりも一般社会人となった人ほど強いのです。
 私は決して中国の悪口を言うつもりはありません。私のスタンスは客観的につとめようとしています。冷静な目で見つめようとしているだけです。中国の方々は、規則、ルールも勝手に解釈したり、時には無視したりする。従いまして、中国へ進出する企業の方々も、何らかの取り決めをなさる場合、単なる「申し合わせ」「紳士協定」程度では絶対にダメです。必ず、「規則」を作り、違反した場合は、徹底した処罰をするというようにしなければなりません。
 身近な「ルール違反」を例に挙げれば、人もクルマも信号無視を平気で行います。中国では、人よりもクルマが優先です。日本へ来てすぐの中国人が横断歩道を渡ろうとして立っていた。そうすると、日本の場合、クルマは歩行者が渡りきるまで待っている。当の中国人は、「中国の習慣から、クルマが来ている場合、当然、歩行者が待つ」。そうすると、双方とも、いつまでたっても動かないという、実際にあった一つの笑い話があります。
 中国では、バスに乗るときも、他人を顧ず、我先に、あたかも戦争のように突進するのです。私は、初め、知識・文化・教養がないからだと思っていました。ところが文化、教養のある人でも同じなのです。立派な身なりをした人でも食べ残りをポイ捨てするし、空港(中国国内)のチェック・インをする場所でも平気で割り込みします。この結果、殴り合いのケンカになります。(鄭州の空港だったのですが、)その傍らにいて、巻き添えを食い、ひどい目に遭ったこともあります。自分の手荷物が、人のと共に遠い所へ行くのです。気合いを入れて、取り返しましたが。
 また、レストランで、たった5元の皿を不注意にも落として割った。弁償するしないの問題で支配人を呼んで来させ、その場で1時間以上も双方が怒鳴り合うのです。弁償しないと主張したのは、現役の弁護士で50才〜60才代でした。結局、最後は、5元(日本円で約75円)を支払ったみたいでした。

(四)タテ軸(歴史的)とヨコ軸(地理的)の流れから
 この様に、お話ししたい点は沢山あります。そこで、整理する為に私独自の方法論をとり入れました。その整理方法によりますと、本日、申し上げます「要点」といいますか、「問題意識」は二つあります。
   一つは、「歴史的なタテの流れ」での比較です。即ち、市場経済導入の1979年から、それが浸透し、加速してゆく過程においての大きな変化をお話しします。主に上海が中心です。
 もう一つは「地理的なヨコの流れ」での比較です。
 即ち、沿海地域←内陸都市←内陸農村・山村の構図です。「沿海地域」は、もちろん、上海を中心にした大都市です。この三者間での比較です。 以上の二つのタテとヨコの流れの視点に、ハード面とソフト面をからめてスポットを当ててゆきたいと考えています。
 なぜ、比較検討するかと申しますと、物事は、比較して初めて浮き彫りになるからです。

(五)タテ(歴史的)の流れをハード面から
 では、初めの「歴史的なタテの流れでの比較」を行います。
 市場経済導入後、建設竣工されたもの。いわゆるハード面からのものですが、四つ位、取り上げましょう。これで、目に見える形で経済の発展ぶりが分かるでしょう。

@高速道路
 高架式の高速道路の完成です。これは環状線になっています。規模は全上海を包囲しているので相当大きなものです。
 この高架式・高速道路が完成しないとき、大変な目に遭ったというお話をしましょう。四、五年前の八月下旬の上海です。上海空港から有名な復旦大学へ訪問するのに2時間もかかりました。しかも、8月下旬という残暑、中国語で“秋老虎”と申しますが、非常に厳しかった。リムジンバスにCOOLERなんてものも無いし暑さのせいで、いっぺんに倒れてしまいました。暑いと食欲が落ちているのに、油のこってりした上海料理ですから食べられず、たちまちダウンでした。今では、これが約45分で復旦大学に行けるようになりました。大変便利です。なお、この様な高速道路は上海以外にもあちこちにでき、各都市間連結の上で重要です。

A地下鉄
 2番目によく分かるのが、地下鉄が完成したことです。1995年の完成時には、全区間共通の1元でしたが、今では、全区間2元です。大体、中国の値上げは、急に行われるので我々としても、大変、とまどうことがあります。1995年6月下旬には航空機運賃(国際便)も急に改定され、そして、改定とほぼ同時に施行されるのです。その1995年の改定の時も中国側に、大いに文句を言ったのですが、完全な上意下達方式で、一蹴されました。
 地下鉄は、「上海駅」、これは汽車の上海駅ですが、そこから「人民広場」や「上海体育館前」を経まして「錦江楽園」までの南北線です。バスは、終点から終点まで乗って料金は0.4元から1元くらいです。地下鉄は、渋滞がなく、バスよりも速く着くので便利です。どちらも時刻表がありません。
 地下鉄構内はお店もあり、日本の地下街と比べて遜色ありません。車体はドイツ製で、頑丈そうに見えます。昼間でもいつも満員です。乗車のさい、私は1度注意されたことがある。それは何かと申しますと、夏、暑いのでサンダルで地下鉄に乗ろうとしたところ、駅員のお姐さんに「ルール違反」といわれ、危うく、乗車ストップを食らうところでした。確かに、壁に貼紙として、「乗車規則」があり、そこには、「一,ランニングシャツ」「一,サンダル」等の乗車禁止項目がありました。
 現在は南北線の一号線だけですが二号線の東西線が工事施工中です。これは、上海空港から、浦東地区へ行く線です。浦東地区にはヤオハンがあります。
 交通機関は、この他に、タクシー、オート三輪、バイク(単車)、バス、急行マイクロバス、自転車があります。自転車に乗るのも「(運転)許可証」がいります。ライトが付いていないので夜は大変危険です。  皆様方は、TAXIの利用が多いと思われます。「サンタナ」クラス及び6人・9人乗りワゴンは14.4元が初乗り運賃。「シャレード」クラスは12.0元です。ここでよく問題になるのがTAXI料金。噂では、故意に混雑した道路へ寄ったり、回り道をしたり、はたまた料金メーターを前の客の続きでやったり、料金メーターを倒したり、という苦情です。
しかし、上海に限って言えば、私はこれまでそんな目に遭ったことがありません。逆に、近道を行ってくれたり、料金の「端数はいいよ」と行ってくれたりしました。ただし、タクシー・チッケトは嫌がられます。現ナマを要求されるのです。  ついでに言っておきますと、クルマは左ハンドルで、右側通行です。新聞やTV、ラジオのNEWSでは出ませんが、交通事故は多発しています。接触や軽くぶつかるのは、日常茶飯事です。ドライバー同士が「話し合い」ますから、示談でしょうが、聞いてますと「気をつけろ、バカヤロウ」程度です。修理代云々の話は軽いものならありません。今回重慶でバスの人身事故に遭い、ドライバー側が1000元(約15000円)支払いました。骨折していませんでしたからでしょう。クルマの「車検制度」は1年に1度(約300元)あります。しかし10年以上乗りますから、車体やライトがへこんでいるのも多いです。いつ、故障してもおかしくありません。今回も武漢ではお客さんである我々がバスを推しエンジンがようやくかかった経験もしました。
 歩行者として気をつけなければならないのは、日本の信号と異なるので注意すべきです。日本なら赤信号でも「左折可」があります。中国の場合、「右折可」なのです。我々日本人は、習慣的に、とまどってしまいます。クルマ側の信号が赤だと思い、安心して横断歩道を渡っていると、ビューンと右折してくるのですから。毎日交通事故に出くわさない日はありませんでした。道の真ん中で、警官を交えて3者がやりあっているのです。 B東方明珠(新しいTV塔)
 3番目のハード面は“東方明珠”です。この意味は「東の国のきらきら輝く真珠」です。新しい上海のシンボルともいうべき、TV塔です。TV塔は昔からあったのですが、これが新しい方のTV塔です。いわば、大阪の通天閣のようなものです。東京タワーよりもまだ約100Mほど高いのです。中国は何でも世界一を目指しています。しかし、当面それが実現していなければ、とりあえず東洋一を目指すのです。次に申し上げる高架大橋も然り。また、高層ビルも然り。現在、マレーシアの高層ビルが東洋一の高さを誇っていますが、上海で建設中のビルがすぐに追い越すでしょう。このような「より高く、より大きく」は中国の伝統的な思想の具現で、古代からの建築において枚挙に暇がありません。
TV塔の入場料が50元。ウェイトレスの給料が¥300元(内部都市)〜450元(上海)ぐらいです。1元が現在のレートでは15円ですが、我々日本人の金銭感覚では、1元が100円ぐらいの価値で考えなければなりません。そうすると50元の入場券が¥5000円となり、かなり高いと想像するでしょう。
 それでも、そこは長蛇の列で、3〜4時間は入場を待たねばなりません。どうしようかと案じていた所、中国側のスッタフの入れ知恵で、私自身が「体調不良」だと訴え、先に入れて貰いました。真面目に並んでいる人々に対して「悪いな」とは思いつつ。当初、私のみの入場でしたが、後では、私の日本人スタッフ全員が先に入れて貰いました。
 エレベーターで上へ行きまして、展望台から上海の町並みをい望みましたが、生憎、風が強く、吹き飛ばされそうな感じなのです。私にとっては、何ら、面白い所ではありません。更に上に行くと、スカイラウンジ・レストラン等もあります。ただ、案内係の、女の子が、全員、とても美人揃いなのです。身長も高く、真っ赤なツーピースと揃いのハットをかむり、笑顔もすてきでした。ほとんどが、17〜18才のコンパニオン科か観光科の高校生で、実習をしているとのことです。見た感じは、22才ぐらいに、大変大人びて見えました。結論を申しますと、ここは、大して何もないけれども、美人には確実に会えます。

C高架大橋(現在は二つ、将来は四つ)
 4番目は“高架大橋“です。この名前は一つは“南浦大橋”、もう一つは“楊浦大橋”です。黄浦江という、揚子江の支流の川を渡って、浦東開発地区へ行けるようになりました。この橋がないときには、これ迄は、渡し船で渡っていたのです。なお、同様の橋を更に二つ建設計画をしています。
 浦東地区に第二上海空港を建設する予定です。先ほどのTV塔も浦東地区にあります。

 以上のことが、ハード面から見た大きな変化です。これらの事は、我々にも大きな便利さ、快適さをもたらしています。同時に、上海を訪れる人を案内できる場所にもなっています。

(六)タテの流れをソフト面から  この他に、忘れてはならないのが、ソフト面から見た変化です。時間的制約から主なものをいくつか述べるにとどめます。 @外匯(兌換券)の廃止  一番目に“外匯”の廃止です。1994年1月1日より“外匯”が廃止されました。これも発表が急だったので大変驚いています。“外匯”とは何か?“兌換券”とも申しまして外貨への兌換が可能です。これは、中国大陸において、外国人(大陸以外の人全員)しか使えませんでした。これとは別に、中国大陸の中国人が日常使っている“人民K"という貨幣があります。これは、外貨に兌換が可能なのです。このように貨幣が二重構造になっていました。即ち、“二重価格"の徹底です。
 “外匯”の取り扱う店は限定されているのです。例えば、友誼商店、高級HOTELなどです。例を挙げますと、街角のラーメン屋でラーメンを食う。これが一元。高くて二元です。南京で食べたラーメンが一番おいしかったですが、これが食えないのです。
 即ち、中国庶民の店へは外国人が自由に出入りできなかったのです。それが、買い物でも、自由にどの店ででも買えるようになったのです。したがって我々外国人にはとっても便利になったのです。“外匯”がまだあった当時、中国人は使えないというのが原則でした。しかし、中国の人に“外匯”がとても喜ばれブラックマーケットという闇のチェンジマネー屋が横行しました。また一般の善良な中国市民も、私達に対して“外匯”との交換を頼みにくることしきりでした。同じ一元でも“外匯(兌換券)”と“人民K”とでは値打ちが違うのです。1.5倍ぐらい高くなりました。
 私は1度間違って、大陸中国からホンコンへ出て、そこで人民券をホンコンドルに替えてもらおうとしたところ、「紙屑同然で正価の半額にしかできない」といわれた経験があります。今でも、上海空港の空港税は“人民K"90元ですが、“兌換券”60元です。外国人が、高級なHOTELや店でしかショッピングや食事ができなかったのです。逆に言えば、中国人は、そういう所へ出入りできなかったのです。基本的には、そうです。それが3年前に変わった。“外匯”が廃止になったということは、とてもショッキングなことなんです。ものすごい変化です。移り変わりが激しい証です。この「激しさ」を我々も感じなければならないと思います。
 今では、“外匯”の代わりに、いきなり、日本円(または、ドル)と“人民K ”を両替しようという、ブラック・マーケットがあります。ここで注意すべきは「換金の手品師」がいるということです。チェンジ・マネー屋の変な輩には近ずかないことです。ニセ札やタイ、ベトナムの紙幣を混入させたり、或いは、枚数をごまかしたりします。確かに、デパートでもどこでも、買い物をすれば1枚1枚「ニセ札探知機」にかけて検査されます。そういう機器がレジスターの所に置いてあります。よしんばレジスターがなくても、「ニセ札探知機」は設置されています。
 私は「中国銀行」で換えますが、銀行員は概して愛想が悪いものです。また、待たせます。「交通銀行」、「農業銀行」その他の銀行では、外国紙幣の両換えはできません。HOTELは、宿泊客でないと両替はダメだと、よく言われますが、私は、まだ断られたことがありません。親切丁寧、かつ、Speedyに換えてくれます。もし、ル−ムナンバーは?と尋ねられたら、間髪を入れずに適当に「901号室」等と答えればいいのです。
 ただし、田舎の方に行きますと、4万〜5万円ぐらいで(換金する“人民K ”が)底を突いてしまって「換金Stop」となる所もあります。尤も、シティHOTELでも、50万〜100万円の換金は「中国銀行」の方がレートも割がいいです。最近では、コンピューターも導入されていて、手続きも随分改善されました。

A“粮票”の廃止
 “粮票”とは「食糧券」のことです。これが1992年6月に廃止されるまでは、ごはん、めん類、マントウ、パン等の炭水化物系をお店で食べる時に、必ず、お金と一緒に支払ったのです。「食糧券」と代金の2つを出すのです。この券は、"外匯"廃止の前に先に廃止になりました。
 食糧券は中国人に対する「配給制」だったのです。したがって、外国人である私達には、配給されません。私の例で言いますと、1985年1月、宿泊地付近のレストランで。4人掛けのテーブルが4つ位しかないような小さなお店でラーメンか何かを食べようとした。店員の女の子が気を効かせてくれて「食糧券」なしで食べさせてくれた。更に、私に自分の(?)“粮票”をいくらかくれた。「食糧券」は、年齢、職種により、その量が決定されました。「何年何月分」というのがその上に印刷されています。「完全配給制」だったのです。今では、この廃止のおかげで、我々はどこででも、いくらでも食べることができるのです。そのほとんどが、外国人料金は、ありません。先ず、値段と品物とを確認してから注文することです。外国人に対して「別料金」を設定しているのは、高級料理店に多いです。また、中国のパックツアーでは、必ず、ガイドとドライバーとお店の人が結託していて、高い店へばかりつれていって買物をさせます。これは、日本国内でも同様のことが行われています。
 今一つの「配給券」の一つである「食糧券」を紹介しましたが、実は、これまで、油、布、塩、醤油、肉、野菜など日常生活に不可欠なほとんど全てのものに配給券がありました。そのような「配給制券」の規制が徐々に緩くなり、即ち、実際の効力はなくなって、何年か後、ついに廃止となるのです。なお現在でも「生活費援助」を受けている極貧の人々に対してはまだこの種の「配給券」があるようです。

B語彙の変化
 例えば、私が大学生の頃、大陸中国ではすでに「死語」となったと教育を受けたコトバが復活しています。例えば“小姐"「お嬢さん」。“先生"「旦那さん」。女性に対して“小姐"、男性に対して“先生"。昔は、「お金持ち」を敵視する傾向がありました。しかし、今では好んで用います。例えば、明らかに「オバさん」で、どう見ても「お嬢さん」とはいえない人に対しても、今では使うと、相手が喜ぶようです。昔は“同志"でした。それから、台湾の語彙が大陸ででも反映されています。例えば“酒店"。これは「Hotel」です。昔は“M店”がHotelでした。今でも用いますが、今では少し野暮ったい感じがします。 “酒店"は昔「酒屋」でした。また、例えば“NO"「コンピューター」です。以前、大陸では“P算机"でした。台湾からの語です。また、“的士"「TAXI」。香港、広東からの語です。大陸では“出租汽R"でした。これらの語は、大陸におきまして、今ではむしろ使用率が高い地位を占めているのです。
 言語の問題が出ましたので、日本も漢字を用いると言うことで、少し、ここで「コトバ」の面を展開させたいと思います。「同じ漢字を用いるから、とっ付き易い。理解し易い」と考えがちですが、実は、「分かるようで分からない」のが正直な所でしょう。有名な話が、日本人の筆談です。筆談すれば通じると思いきや、全く通じないことがあります。“時時、妻、手紙、来"。一つずつ分けた単語の意味は分かりますが、文にしますと、全く通じない。つまり“手紙”は、「手で使う紙」なのです。ですから日本語では「しょちゅう妻が、トイレットペーパーを持ってくる。」となります。
 日本で廃車した「佐川急便」のクルマが中国で時折り見かけます。あの「飛脚のマーク」については、とてもおかしいそうです。理由は“急便"「あわてて便意をもよおす」というような意味です。しかも、「ふんどし」で走っているでしょう。下痢か何かで、トイレへ駆け込んでゆくことを連想するのです。
    又、例えば買い物の時、お店の人に、筆談で、“何時閉店?"と書けば「いつ倒産するの?」になってしまいます。「縁起でもない!」といって叱られます。筆談が通じないのです。又、“T有U"。これは「彼女は気がある」というのではなく、「彼女は怒っている」のです。又、“向A愛人S好"というのが手紙に書いてあります。「あなたの奥さんによろしく」という意味なのに、中国語を知らない妻がその手紙を見て「いつから、愛人を作ったの?」と言うことになってしまいます。又、“娘"は「お母さん」。 日本語の「近代化」は、中国語で“現代化"といいます。これと中国語の“近代化"とは違います。中国の「近代」とは、「中古から近世」を指します。  この辺で「コトバ」の面を終了し、次へ参ります。

C就職活動の自由化
 以前は、大学当局の分配制で、嫌が応でも強制的に配属がやられた。しかし、今では自由に、就職活動をするように、また、できるようになりました。とりわけ、有名大学出身者の就職状況はよいものがあります。上海の大卒者で、国営企業の初任給が800元。さくら銀行、住友信託銀行、全日空などの合弁・合資企業が約2000元。50代の大学(助)教授が1500元。外資系に人気があるのは高給だからです。ただし、変なこともあるようです。
 例えば、上海の超有名大学で、日系企業に次々と就職内定を取り付けた中国人の女子学生が「戸籍問題」にぶつかりました。戸籍がないと、就職できないのです。しかも、戸籍の移動も相当厳しいようです。地方出身者、即ち、上海市内に両親がいないことを理由に、大学当局の就職課の人から意地悪をされ(?)、この結果、変なところへ配属させられたというのもあります。有名大学なら、全国から大学生が集まってきますから。その時、戸籍は元の安徽省のままです。その女の子は、私に手紙で訴えて来たのでした。
 中国では外資系企業の中でも日系企業には希望したくないという学生が多い。理由を尋ねると、中国の歴史教育にあり、マインドコントロールが抜けきっていないからです。とにかく、学校の授業による「反日教育」だけでなく、あらゆるメディアを使います。特に、若者は純粋ですから、すぐに洗脳されてしまいます。ですから、若者、とりわけ学生の「反日感情」は凄まじいものがあります。例えば、我々日本人スタッフと、上海の超有名大学の大学院生多数と、エレベーターのところで一緒になった。彼らは“日本鬼子来了”と早口でいうのです。これは「日本兵に対する憎悪を込めた」コトバなのです。「鬼畜日本人めが来やがった」という意味です。おそらく、日本人は、この様に早口でボソボソと中国語を言っておっては分からないだろうだろうと思ったのでしょう。ところが、運良くと申しますか、運悪くと申しますか、私は、どんな早口の中国語でも聞き逃がさなかったのです。私はすぐさま、「そんなふうに言うものではないよ」と中国語で、たしなめました。まさか、早口の、ボソボソ話の中国語が、日本人に分かる筈がないとでも思ったのでしょう。驚きと共に少しは気まずい顔を彼らはしていました。「鬼畜日本人め」という言葉は、市場(いちば)のおばさんやおじさんの口からも出ました。中国政府の政治教育のせいでしょう。怒りや怨念を植え付けさせる教育は、国民を団結、結束させる効果は抜群です(中国には昔から「一人の中国人は百人力だが、二人三人寄り集まるとケンカが絶えない」という諺語があります。結束力、団結力のなさは中国人自らが認めています)。そして、怒りのパワーは一時的に大きな力を発揮させるでしょう。しかし、最終的には、我が身をも亡ぼしてしまう理論です。このような政策を採っている国に明るい未来があるのか大変疑問です。この様な具合で、初めは、日系企業を避けていますが、徐々に、日本や日本人及び日本企業の良さが分かってくるのでしょうね。
 又、例えば、中国人の海外留学についても同様のことがいえます。私は武漢市と上海市の有名大学で、アンケートをとったことがあります。
 質問:「どの国へ留学したいですか?」。この回答は次の@〜Bの通りです。
@日本語よりも、英語の方が勉強し易いし、馴染んでいる。よって、アメリカである。
Aアメリカは、本人の実力を認めてこれるが、日本は、「外人」に対して、「排他主義」が徹底していて、認めてもらいにくい。したがって苦労する。
B年功序列制が敷かれている日本の制度が嫌。無能な上司の下では働けない。
この他に、後で、こっそりと「前の戦争があったから」と教えてくれる学生、大学院生がいた。
             同じ場所で討論会も開きました。その模様を、ついでに申しておきましょう。私が訪れる大学は「重点大学の中でも特に重点大学」と言うこともあってか、超エリートです。英語で討論しようと言ってくる。
 「今やりたいことは何?」と尋ねても、口々に「学問」という。しかし私から見れば、単に「教養を身につける」というのではなく、全て、実学です。実用性のないものは、学びたくないようです。実学は、すぐに「金儲け」、そして「快適な暮らし」に直結するからです。
 各地で討論会を開きましたが、その結果、分かったことは、旧満州、今で言う東北3省(黒竜江省、吉林省、遼寧省)出身の学生が比較的親日的で、日本語は小学校の時から習っていると言います。昔の満州開拓団での下地があるのでしょうか。ところが、その他の省出身の人は、ほとんどが、日本など、眼中に入れていないようです。逆に日本企業は仕事が厳しいなどというウワサをしています。私は、「日本企業では昼食に酒は飲まない。クルマのハンドルを握るときはアルコール禁止」という例を出しておきました。
 そして、私の印象としては、中国の大学生は、どうしても情報不足です。上海はまだ、「中国の玄関口」と言うこともあり、色々と分かっているようですが、内陸都市の学生は、幼稚に思えました。例えば1994年9月に、武漢の華中理工大学での討論会で、「あと4〜5年で日本に追いつき、追い越す」という発言や、「あと4〜5年で、中国の旧式トイレ事情を一掃し、改善する」との発言が最も鮮明に残っています。その意気込みはとても積極的ですが、余りにも幼稚に映りました。
 中国は、愛国心を植え付けさせる教育が徹底しています。学校の内外で。この材料は、「戦争」が好都合です。その手段として@TVAラジオB新聞C映画・ビデオがあります。
特にTVは、ナマ放送は一切ありません。つまり、全て、編集し直したビデオを放映しているのです。しかも、全て検閲チェックをしたものがオンエアされます。ラジオも同じです。また、新聞は、中国共産党の機関誌「人民日報」です。他に、夕刊紙が大衆紙としてありますが、どれだけ社会の現象を伝え得ているのかは甚だ疑問です。というのも、(外国人客がからんでいなければ)飛行機国内便の墜落事故や暴動、そして、交通事故さえ報道されていません。
 大学生は情報不足を補うために、英語をはじめ、外国語を勉強するのです。中国語だけでは情報が入ってきませんから。だから外国語修得も、「教養を高めるため」ではなく、実学なのです。中国人から、日本人によく質問が投げかけられますのは「新しい文化その他を知るには、外国語が必要ではないですか?」と。しかし、当面は日本人にとって不必要なのです。なぜでしょうか?翻訳がすぐにあるからです。中国人にとっては、コンピューターをはじめ、新しい技術、文化は全て、ナマの外国語の本やNEWSからです。したがって、外国語を知らないと吸収できないのです。
 その昔、私は上海外語学院の中文系の三年次生の学生約40人を前にして質問したことがあります。「将来の職業は?」と。ほとんどの人が「教員には、なりたくない」と言います。理由は、給料が安いからです。商売、商人になって金儲けをしたいというのです。中文系というのは、日本で言えば、国文科の学生です。国文科で、この様な現象なのですから。昔は、「商人」というのは、教員に対して卑しめられていた中国です。ところが今では皆から羨望のまなざし見られているのです。現在の中国の大学は、最も人気があるのは市場経済導入の結果、金融、証券、コンピューター、会計学、外国語等です。そして上海では、中国企業が力をつけてきましたから、外資系企業へ就職という熱も昔ほどではありません。

D食べ物の味が良くなる
 次に第5番目として、「食べ物の“味"が良くなった」ということです。その中でも、私が主張したいのは「学食」の“味”が良くなった。大学食堂ですね。大体、「学食の味」というのは、日本でも、まずいという代名詞です。学食の味が良くなったというのは、町のレストランでは推して知るべし、ですね。どのように良くなったのでしょうか?先ず、「白い飯」が良くなりました。黒い色の「穀象虫」や白い色の「長虫」の死骸がなくなった。また、もみ殻や小石が混入しなくなった。入っていても、大変、少なくなったのです。においも、くさくなくなったのです。この様に、ゴハンが、おいしくなった。
 水も、少しはマシになったような気がする。前は、さ湯は、臭くて飲めませんでした。この様な水を用いたスープなんて、とてもじゃないが、飲めないものです。1990年9月に私が訪問したある大学助教授の家(中国では[正]教授というのは、一生なれない人が多い)。私の訪問を聞きつけて、隣の人が親切にもワンタンをどんぶりで持って来てくれた。ところが、まずいのです。それが、今では、何とかノドを越すことができます。  私はこの様な昔の味の「まずさ」を知っていますから、現在の「学食」を「おいしい、おいしい」と言って食べます。そうしますと、他の日本人スタッフは、「こんなまずいものを、よくも、おいしいと言って食べられますね」と感心します。「昔の味」を知っている「差」でしょう。  今では、「食べ放題・飲み放題」のバイキング料理店も多くできました。1人40元から60元ぐらいです。1元15円だという事で15円を掛け算していては、40×15=600円だから、安い。しかし、それでは「中国で生活する」ことにならない。「生活する」というのは「中国人の懐へ入り込む」事です。単なる観光やビジネスではなく、「中国人と同じ視点で暮らすこと」です。これが「中国人の懐に入る」ことです。そうしますと1元は100円で見なければなりません。そうすれば丁度良いのです。従いまして、40元のバイキングは、約4000円となる。昼食としては高すぎると思いませんか。それでも、毎日が「満員御礼」なのです。それが上海です。ただ、少し気になるのですが、今回行って、2年間続いたバイキング料理の店が普通の喫茶店に模様替えをしていました。繁盛しなかったのでしょうか。

(七)ヨコ(地理的)の流れ
 以上が、主に年代順に追った「タテの流れ」でしたが、次に、地域的に見た「ヨコの流れ」に主眼を置いてお話しします。その中でも「上海とその他の地域との比較」が中心となります。

@田舎との比較
 中国は広いですから、例えば、私の経験で申しますと、上海の宿舎では、ゴキブリが部屋の中を飛んだり、走ったりしていた暑さなのに飛行機で約1時間の西安に着けば、ジャケットのような上着がいるのです。また2月〜3月の上海の気温は、大体、大阪と同じくらい寒いです。それでも、上海では、スイカが沢山売られています。亜熱帯の海南島(省)産のスイカです。
 現在では内陸都市から直接ロンドンやアトランタ等の外国へ行くことも多くなっています。ここで、大雑把に沿岸都市と田舎との比較をします。

     都会(沿海都市)と田舎の比較

@収入(月収) 都会(上海等) 1500元〜10000元。アルバイトで(400元〜600元 )
田舎 10元〜100元
A人口 都会(上海等) 3億人
田舎 9億人
B上水道 都会(上海等) 設置
田舎 無し。井戸水で。
C電気 都会(上海等) 蛍光灯
田舎 小さな白熱電球〜蛍光灯
Dガス 都会(上海等) 上海では一般家庭にかなり普及
田舎 無し。石炭、練炭が主。
E下水道(トイレ)  都会(上海等) 水洗式
田舎 旧式
F風呂 都会(上海等) シャワー
田舎 湯が少ない。
G顔 都会(上海等) 白い
田舎 黒い
H衣服 都会(上海等) おしゃれ。垢抜けてる。
田舎 垢抜けしていない。
I流行 都会(上海等) 追う。
田舎 追わない。
J教養 都会(上海等) 学歴高い。
田舎 文盲多い。
K品物 都会(上海等) 携帯電話、FAX、ポケベル等、何でもある。
田舎 品物は不足気味
  L人情 都会(上海等) ドライ。合理主義。
田舎 情が深い。

 都市と田舎の比較ですが、先にトイレの話だけ簡単にしておきましょう。トイレはデパートでも、外の公衆トイレでも有料です。0.2元ぐらい。場所によって、料金が多少異なります。上海市内で公衆トイレは、なかなか見つかりません。東洋一の売り場面積をもつデパート「ヤオハン」のトイレは有料です。トイレットペーパーは、付いていないと思っていた方が無難です。あれだけ多くの人々が、新しもの見たさで、ヤオハンを訪れ、何も買わずにトイレだけ利用されたのでは、たまりません。有料も、やむを得ないでしょう。
無料で、且つ快適さを味わいたいのなら、シティ・ホテルへ堂々と宿泊客、または、食事をしたという顔つきをして入っていきます。「和平HOTEL」なら8Fで、トイレ入口に、「専用のボーイ」、サービスボーイがいて、用を足すと熱い「おしぼり」を大きなピンセットで挟んでで渡してくれます。女性の方は、「サービス・ガール」が同様にしてくれます。更に、靴、肩等、全てブラッシングしてくれます。こんなにしてもらっても、中国では「こちらからモノゴトを頼まない限り」チップは要りません。(ただし、誰が教えたのか、最近、外資系の高給HOTELではチップが要るようです。それも10元(約150円)です。アメリカでのチップ1ドルより高いのには驚かされます)
 ところが、田舎ではそうはゆきません。田舎では、基本的にトイレが無いと言ってもよいでしょう。我々は、「三国志」遺跡調査というのも行っていますので、「道なき道を切り拓いていく」のです。その為、仕方なく、途中、車を止めて降り「トウモロコシ畑」で用を足さねばなりません。女の子も同様です。トウモロコシや低い灌木の影に隠れて排便するのです。私自身ふとトウモロコシ畑の地面を見ますと、人糞がそこかしこにありました。全て、ひからびていましたが、おそらく、踏んづけたと思います。このように、田舎では屋根のないトイレ(これは公衆トイレですが)がなければ、男も女も一緒に、トウモロコシ畑や草むらへ駆け込むのです。周囲だけレンガかトタン板で囲っていて屋根がないトイレ。これだけでも助かりますが、大てい、排便する場所、位置の所が、ピラミッド形のように盛り上がっていますから、かがめば、気をつけないと臀部にくっつきます。
 更に、直径50センチ位の穴が掘ってあって、ややもすると、その穴に落ちそうになります。しかし、足場もセメントや石ではなく、土だけの場合もありますから注意すべきです。そして、水道が完備されていませんから、手を洗うことができません。そこで、中国人の方は、どうするのかと観察していますと、何もせずです。私は、そんな彼らとも握手はしますが、やはり、ウェット・ティシュが必要でしょう。
 トイレの話のついでに、環境汚染について少しお話しします
[1つ目] (山東省にて)田舎の川は糞尿を流し、よどんでいます。勿論、悪臭があります。アヒルがそんな川を泳ぎ、人糞などをついばんでいます。そのアヒルを我々が食うのです。
[2つ目](陝西省西安にて)川がうす緑色。そこへ牛乳をたらしたような色です。それを突き止めるために、上流の方へ行きますと某工場の排水口があり、そこから流れ出ていました。
[3つ目](陝西省咸陽にて)ドライバーが「窓を閉めろ!」と言う。「クーラーもないのに冗談言うな!」と文句を言いますと、「この辺り一帯は、有害の煙が工場から出ている。危険地帯なんだ」という。
[4つ目] (上海、北京、武漢、洛陽などにて)中国の道路は舗装されているのも多くなってきています。ただ、アスファルトとはいえないものばかり。単にモルタルを流しただけです。従って、クルマが通れば、はがれてしまうのです。それが塵埃となり、空中に浮遊しているのです。クルマの多くの往来により、空気の悪さは日本の比ではありません。
[5つ目](重慶にて) 重慶は、なぜ、あれだけ、空気が悪いのでしょうか。山に囲まれた盆地ですから、悪い空気がよどんで動かないのです。児童の健康診断も肺を重点的に看ます。上海も悪いですが、重慶の町を経験しますと、上海の空気が、まだ、ましだと思えます。そして、関空に着くや、しみじみと日本の空気の良さが再認識されました。
[6つ目]いわゆる郷鎮企業は殆どが有害物をタレ流しています。
 ここで、内陸都市、農村、山村から沿海都市への「流れ」を図示します。
外国(先進国)←沿海都市(上海・広州・深zhen)←内陸都市(西安、南京・武漢・済南・鄭州など) ←内陸農村・山村

    この図式の通り、「職を求め」流れてゆくのです。これを中国語で「盲流」と呼んでいます。このため、各都市の主要駅付近には、大小の荷物を抱えた男女が大勢います。また、それを所謂「手配師」「周旋屋」が、仕事を手配するのです。その手配する場所ではきちんと長蛇の行列さえできているのです。農村部では、収入が年1回または2回の収穫に頼るだけですから、都市部の市場経済に大きく立ち遅れているのです。しかし、農業人口は、9億と言われています。都市部3億人の3倍です。9億全部ではありませんが、多くの人々が、どっと都市へ押し寄せてくるのです。したがって、「戸籍規制」が行われるのです。
 勿論、人の集まるところには物乞いする人も沢山います。中には本当に可哀想な物乞いもいるのですが、多くは「職業」としての「物乞い」なのです。仕事をするより儲かるという噂もあります。そして、子供を使う場合も多いのです。司令塔の大人が遠くで見張っていて、指示を出すのです。いたいけない子供ですから可哀想に思って1度、金品をあげますと、司令塔の指示で、どっと、乞食に押し寄せられてしまいます。特に、南京駅での子供にはその数の多さに閉口しました。
   ここで「人情」について申します。中国の人々から、よく質問を受けます。「お前は、なぜ、そんなに中国や中国人が好きなのだ?」と。私は、いつも「中国人は、人情味があって、親切で、笑顔を絶やさない」と答えますが、中国人自身の口からいつも決まって「そんなのは中国人ではない」と言ってきます。確かに、大都市へ行けば行くほどドライになりますね。
 1994年3月、私は天津師範大学中文系で研究発表するために、列車の天津駅に降りました。時刻は午前4:52です。まだ、うす暗く、とても寒いでした。改札口で、天津師範大学中文系の隋文昭教授が出迎えてくださいました。そこで、私は涙を流すほどの感動を覚えたのです。それは、教授が、私を迎えるために、前の夜から駅の真下の地下室の宿泊所に泊まっていてくれたのです。「朝早いから、寝過ごして遅れたら大変だから」と、さりげなく申されたのには頭が下がります。そして、土曜日の午前に発表を終え、午後は、全学科の教員及び学部長、副学長までわざわざお出で〔(土)の午後は、普通、皆、休みの日なのです。にもかかわらず南開大学の方々もお見えになりました〕になって、大歓迎パーティーを催してくださいました。
 私は、それから、北京大学へ向かったのですが、火車の駅までのTAXIや北京までの列車の切符も費用は全て、向こう側が持って下さったのです。武漢の華中理工大学中国語言研究所、南京大学中文系でも同じでした。上海では、これまで4つの大学(上海外国語大、華東師範大、上海師範大、復旦大)で発表していますが、「大学持ち」は上海師大のみです。別の部署がTAXI等を出してくれていますから、結局は、私自身は出していませんが、沿海都市と田舎(内陸都市を含む)とはやはり「違う」と思います。

A首都北京との比較。
 我々は、上海を拠点にしているので、その南京東路や淮海中路をよく知っています。単に、人が多いだけでなく、おしゃれな店構えで、商品もおしゃれなのです。例えば、上海の「伊勢丹」。これは、日本企業のデパートですが、そこに置いてある品物の価格が、日本国内のと比べて、逆に高いのです。あれほど、物価が世界一高いなどと言われている日本の品物よりも。それで、よく経営が成り立つと思いませんか?理由はこうです。上海市の人口1300万人プラス出稼ぎ(盲流)700万人で合わせて2000万人。この人口の1%は大金持ちなのです。2000万人の1%はいくらですか?20万人です。これだけの人が、この高い物価でも購買力があるのです。勿論、私などより余程、金持ちです。実際、私が、お付き合いしている大金持ちの中国人を二、三紹介致しましょう。全て、現在、上海在住です。ひょんな所から知り合い、お付き合いさせて戴いています。
 一人目は、「昔は、自分の実家が、そこの大阪ロイヤルホテル並の規模だった」人。今でも、外国人相手に賃貸住宅収入だけで、日本円で一ヶ月60万から70万円分位あると言う。室内にある調度品、置物の「質」が違います。その夫からは、私のショルダーバッグを指して「文化教養のある人は、もっと、いいものを持つべきです」と逆に注意されました。自分の子供には、2才ぐらいからバイオリンを習わせています。その子は、今では18才。私が訪問すると、引いて聴かせてくれました。これは、12年前でも同じくクラッシック音楽を引いて聴かせてくれましたが、一段と上手になっています。
 二番目の人。何度か自宅へ招待を受けましたので訪問しました。奥様の手料理もおいしくて、つい、長居してしまいます。さて、我々の宿舎へ戻ろうかと外へ出た所、1Fの庭には、おかかえ運転手がいて、あたりは、とっぷりと日が暮れていたにもかかわらず、ずっと待っていて下さったのです。この家の主は、従業員5000人のトップ、取締役です。ケミカル工場のトップです。
 更に、もう一人、例を挙げます。ある日、「晩メシでも一緒に食べよう」ということになり、さて、歩いて20分位の所のHOTELのレストランへ行くことになりました。ところが、そこへ行くのに自分のクルマを呼び付けるのです。これには驚きました。と申しますのも、中国では、1時間ぐらいは平気で歩きます。毎日、食堂へ行くのも宿舎から15分〜25分は歩かなければなりません。更に言えば、南京から上海まで4〜5時間、列車でかかりますが、南京大学の教員(私の友人ですが)は「近いから、来ませんか?」と、私の上海滞在中に言って来ます。中国では、大体20時間から30時間を超えないと「遠い」という感覚にならないのでしょう。私は「遠いから、よしておく」と答えますと、「では、自分から」という具合に私に会いに来てくれました。4〜5時間をものともせず。会って、そして、再び、その日のうちに帰って行くのです。
 その様なわけで、中国の方は、1時間くらいは歩くのに平気です。ところが、その招待して下さった上海の老紳士(実は、大学の教授)は、クルマをわざわざ呼びました。その車の内装が、また立派なのです。座席シートは全て黒色の本皮です。いかにも高級車でした。そして、お食事の最後の支払いは、さり気なく、クレジット・カードのゴールドカードを出して、済ませるのです。私自身でも年会費1万円の維持費が嫌で、ゴールド・カードを持っていませんのに。まぁ、必要ないからかもしれませんが。
 そういう上海から、北京へ行きますと、がっかりするのです。中国人、とりわけ、若い学生などは「首都」というイメージでか、「北京へ、北京へ」と目指し、あこがれたりします。日本人観光客も多いです。理由は、元の時代からの首都でもあり、それらの遺跡、中でも「万里の長城」や「故宮」等の観光地が沢山あるからでしょう。私もがっかりしました。所謂、「銀座通り」と言われている“王府井”ストリートを歩いてみても、昔と少しも変わっていないのです。垢抜けていないのです。往来する人々の服装、商品、建物、全てがダサイのですね。やはり、外国資本の投資が、上海等の沿岸区域と比べて極端に少ないからでしょう。北京は、政治、学問の町です。有名な大学も沢山ありますし、国の研究機関も多いです。道路も広く、整備されていますが、人々は、よそよそしく、上海人のように、人なつっこさがありません。その様に、私には映るのです。上海は、「外国慣れ」していますし、「流行に敏感」です。中国には、中華思想というのがあり、これが中国人を保守的にしています。即ち、外国の文化や流行を受け入れない傾向があります。ところが、上海は比較的良く受け入れるのです。歴史的にも外国からの玄関口だからでしょう。そして、「しつこい」のです。即ち、商いや品物を無理強いする傾向があります。
ここで注意したいのが「買い物」です。「買い物」にもルールがあるのです。“討价還价”と言って、売り手と買い手が、値段交渉する。掛け引きがあります。それは、外国人に対してだけというのではありません。地元でない、「よそ者」の人間に対しては、たとえ相手が中国人であろうと、高い値を言ってきます。中には「騙し」もあるでしょう。客も、そういう事情をよく呑み込んでいて、故意に「高い!」と言って、ものによっては、「言い値」の1/10になることもあります。1/10の価格が、実は正価かも知れません。この様に、お互いに、交渉を「楽しむ」のです。ムキになってはいけません。
 そんな中で、日本人観光客の多くは“討价還价”のルールを知らない。従いまして、「言い値」で支払ってしまいます。そこで、見かねて我々が、注意してあげるのです。「オバさん、負けてもらわないと損しますよ」。そうするとどうでしょう。「いいの、私、お金あるから」という。こういう事をしていると、逆に、バカにされますよ。その果てには我々にまで、いい迷惑が及んで来ることになる。というのも「日本人は、正価の何割増し、或いは何倍もの値で、ルールに従わないで買ってくれる」と思われます。残念ですね。私は、書籍を買う場合でも、負けて貰うことがありますよ。本は、本来、負けてくれません。また、人前で、大枚をちらつかせますと、狙われたりして、大変危険です。先ほどから申していますように、これらの売り子さんや、通行人の多くは、1ヶ月の収入が300元から500元なのですから。たった100元札3枚の収入なのですよ。それに、「日本人は金持ち」という嫉妬と反感を持たれるのがオチです。勿論、人混みでは、スリもいます。ポケットの中へ手を突っ込んでこるのです。中国人は、一般にサイフを持たないで、無造作にポケットに入れているだけですから。
 この様に、正価と申しますか、本当の価格は分からないのです。言えば安くなります。HOTELでも同様です。宿泊は、私は一泊50元〜100元のところです。12畳の部屋が2つ。シャワー、トイレ、TEL付きです。しかし、学外のHOTELにも泊まることがある。大体、3つ星クラスのホテルで約700元です。しかし、これも、本当に上手に言えば負けてくれます。団体料金なんていうのも、HOTELには明記されていませんが、内々には存在するようです。 「料金」の話になりましたので、ついでに「医療」の料金についても触れておきます。病院には外国人料金があります。私が実際に「血液検査及び薬」の代金を支払いましたが日本円で約1万円分でした。「高い」と文句を言いましたが、これは仕方ありません。病院で治療をして貰って、「負けて」というのも恥ずかしいものです。しかし、中国の病院で、外国人の場合、どれくらいの料金設定をすればよいかよく分からないようです。医者などが奥へ行って、色々と本や書類を引っぱり出して、料金設定を相談しているのです。私には、それが聞こえてきて、つぶさに分かるのです。この結果、850元位の請求がありました。当時のレートで約1万円です。中国では当然、日本の「健康保険証」が全く効きません。したがって料金が高いのです。外国人があまり行かないような病院(私は主に漢方の病院へ行きます)、そういうところへ行きますと、彼らも、どのくらいの料金設定をすればよいのか分からないのです。中国人料金の10倍くらいでしょうか。
 また別の漢方の病院では、針治療をして下さいました。はじめに、料金のことを尋ねますと、医者は「あなたとは友人だから、いくらでも良い」というのです。「初対面で友人」とは恐れ入りました。結局、「1回100元でどうか?」という。そして、外来(通院)ではなく往診だと「通常料金の4倍プラス・タクシー代」だと言われた。渡すと、無造作にポケットへねじ込み、領収証も何もない。尤も、お札の数を数えることすらしなかったです。そして、針は、6センチはあった長いもので、必ずしも1回1回、使い捨てではない場合があります。中国針は良く効きます。痺れる感覚です。足に打たれますと、足が全く動かないのです。痛くはないのですが、痺れた状態なのです。ある日、「生理不順」の女の子を連れていったのですが、効果てきめんで、いつもより調子が良く、険しい《水滸》梁山や万里の長城、山東省泰山などの「山登り」も平気で、疲れ方が全く違うとのことです。近畿の某市の元市長の孫もその病院で治療したようです。
 ついでに注射の話をしておきましょう。「カゼ」など、もし熱があれば、注射を打ちます。注射針と注射液を買って、医者の前へ持っていきます。その場合、驚いたのが、人間の肩位までの高さの椅子の上に坐らせ、いきなり、ズボンまたはスカートを下ろし、そして、下着も下ろさせ、お尻にブスッとやります。全く、前置きも一切なく、いきなり、打つのです。一緒に付いていってあげたのはいいのですが、余りにも「いきなり」だったので、女の子の場合は、目のやり場に困った経験があります。イギリスなど先進国では腕にやりますが。
(八)経済発展しても不変なもの
 これ迄は、経済発展に伴い、変化したことがらばかりを取り挙げましたが、次は、昔も今も変わらないことがらを申し上げましょう。
 @贈答品、土産。
 訪中で、いつも頭を悩ませるのが「おみやげ」です。中国には“礼尚往来”(礼儀は行ったり来たりを尚しとする)という言葉があって、「お付き合い」をする上で欠かせないことです。  その場合、「掛け時計」は絶対禁止です。これがダメという事は、前々から知っていました。しかし、現在は、新生中国となって50年近くなるのですよ。それに私は外国人だ。外国では「掛け時計」をプレゼントするのは普通です。更に、これまでに色々なものをあげていて、同じ物を2度あげるのも良くない。これらの理由で、敢えて「掛け時計」をPRESENTしました。幾人かの人にあげましたが、1人は怒りを以て返却してきました。50代の妻の大反対にあったと申します。家に86才の寝たきり老人がいるとのことでした。「縁起でもない」というのです。もう1人は少し知恵のある方で、「八」と言う末広がりの「八元八角八分」を私に渡し、「これは、貰ったのではなく、あなたから購入した事にしましょう」と言います。掛け時計を送るとは、「送[songzhong; 送葬songzang」となり、発音が酷似しているのです。すなわち「時計をプレゼントする」が、「葬式する」となるのです。したがいまして、外人ではなく、中国人同士の場合、もし、掛け時計をpresentした場合、「お前なんか、くたばっちまえ」の意味になるのです。勿論、そんなことを全くを気にしない人も沢山いました。
 更に、もう一つ例を挙げましょう。病気見舞いをしたときのことです。リンゴをカゴに入れて持ってゆきました。今度は、発音が酷似ではなく、完全に同一になってしまうのです。共通語の場合、「有気音」と言って、息を強く出す音pingguo(りんご)と、そうでない音binggu(病没する)のため、明らかに異なるのですが、「病故binku;\果binku」のように、上海語では完全に同一になってしまいます。病気見舞いに「リンゴ」を持ってゆくと、「縁起でもない」と大目玉を食らうのです。「病気で死ぬ」のですから当然でしょう。

A冠婚葬祭
 お祝い事、お芽出度い事には「赤色」を基本として用います。例えば、企業の支店のopen。このお祝い袋は真っ赤、これに金色で書く。目出度い招待状も赤色で、金色文字を印刷するのです。白い封筒を「祝儀袋」とはしないことです。
 中国の結婚式にはネクタイは白ではなく、赤色です。なぜでしょうか。白色は葬式の色です。縁起が悪いことになります。この点を気を付けて下さい。お祝い事に「紅白饅頭」を日本では配りますが、これはダメで、「紅紅饅頭」にするべきです。中国語の“紅白大事”とは「結婚式と葬式」を指します。ちなみに「紅白歌合戦」も「紅歌合戦」で、「白」が抜けています。

B笑顔
 三つ目として、中国人、特に女性は、笑顔を見知らぬ人に見せません。女性が見知らぬ男性に対して、むやみにニコニコしますと、変な意味になります。とりわけ、未婚女性は徹底してニコニコしません。
 私は何年か前、上海の某街角で女店員に道を尋ねました。知らない顔をしています。これは通じてないのだと思い、耳元へ近ずいて大声で、もう一度尋ねました。「聞こえているわ」と、逆にお叱りを受けましたが、概して愛想は悪いです。伝統的に、女性は笑顔を見せないし、姿をも隠すのです。明の時代、否、もっと以前から、上流階級の家では、二階がお嬢さん、即ち、娘の部屋になっていて、窓には細い格子が碁盤のようについています。客が訪問し、門を入り、中庭へさしかかったとき、その格子戸からのぞき見ることができます。逆に、格子戸があるため客の方からは、二階の様子が全く見えません。また、客が居間等へ入って来た場合、女性は自分の姿を隠します。これは、旧白話小説に良く出てくるシーンです。現代では、ここまで徹底していませんでしょうが、伝統はあるものです。
 中国では、見知らぬ人に対しては泥棒か犯罪者を見るような目つきになります。この種の視線に対しては覚悟をしておいた方がよいでしょう(特に、女性が男性に対しての目つきは鋭いものがありましす。性犯罪の意識があるからです)。逆に言えば、見知らぬ中国人が、ニコニコと近ずいて来るのは異常です。何か、たくらみがあると考えねばなりません。そのかわり、一度知り合うと、次からは「古い友人」(老朋友)となります。また、初対面なのに「一生の友達」の如き接し方をしてくる人も多いです。
 本当の友人(朋友)は、相手の為になら、色々と便宜を図ってくれます。しかし、そうなれば、次回相手が何か頼んでくれば断れなくなりますね。私に対しても、これ迄、何人もの中国人から依頼がありました。曰く「日本の医学部に入学したい」、曰く「留学に際して、下宿先の準備と大学の入学金を借用したい。お金は日本でアルバイトをして返却します」等々と。
 私は、中国の“朋友”と接していて、中国では、私自身、お金を払ったことがないのです。明らかに彼ら(中国の大学の教員がほとんど)の方が、「お金持ち」とは決して言えないのに出してくれるのです。勿論、「割り勘」の習慣がないからですが。私の方も「お返し」を何らかの形で行います。そうしないと「お付き合い」はできません。それに「ただほど怖いものはない」と俗諺にも言うではありませんか。とにかく、色々と親切にしてくれることが多いです。しかしその裏に何かがあるのでしょう。少し前に、こんな事がありました。私の学生と一緒に訪中したときのことです。上海の某大学生の女性と恋仲に陥りました。私ではありませんよ。日本の20歳前後の男子学生は、まだまだ純情ですから、まんまと、はまっちゃったのです。中国の女性も、良い子もいれば、したたかな女性もいます。私の学生(これは、今の勤務校ではなかったときのことです)の将来を案じました。女性の方が積極的で、即ち、良くない方向へ行くのが明白と分かっていましたから、私は、中国の女学生に注意勧告したのです。「軽薄なことは止めなさい」と。その女の子は、私の男子学生に直ちに言いに行ったのでしょう。そのすぐあとで、ものすごいケンマクで男の子が私の部屋へ抗議しに来ました。曰く「先生は、僕たちの愛を壊したいのですか」と。もはや、「勝手にしろ!」と思い放っておきましたが、結局、後で、つぶれました。と言うのも、中国人、特に学生が、海外に出るには、留学か、結婚しかないのです。そういう場合、「単なる利用」されただけで、日本に着けば、「サヨナラ」されるケースが何件かあったので、「真実の愛」か否か見きわめる必要があると思ったのです。中国の場合は、パスポート、ビザがなかなか取得できないのです。海外逃亡、亡命と申しますと大袈裟ですが、それと類似のものが多いようです。日本とは、まるで違います。ただ、最近では、中国の企業も高給をだす所が増えてきましたので、ひと昔前のような「海外流出」はなくなりました。

 以上、タテの流れとヨコの流れから上海、そして中国を見てきました。ご静聴ありがとうございました。

  
    以上は、大学書林・国際語学アカデミー主催の「DILA講演会」
     1997年3月28日(金)、北浜ビジネス会館にて講演した内容です。



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