蜂蜜と鯨たちに捧げる譚詩

田中信昭先生の指揮活動50年記念に東京混声合唱団が委嘱した曲であり、2001年12月に初演されている。


1曲目の「鯨たちに捧げる」は、鯨が毎年、新しい歌を作曲し、それが仲間の間で流行し、新年には一斉に海の中で歌い出すという、ウソのようなホントの話を、白石かずこさんが素敵な詩に書き綴っている。特に、ザトウクジラの歌は素晴らしく、また海の中のサウンド・チャネルと呼ばれる層を利用して、何千キロと離れた鯨同士がコミュニケーションするなど、この曲のおかげで私も鯨博士の仲間入りをした気分である。
考えてみると、鯨たちは5000万年も前から海で暮らしていたのであり、人間は高々400万年くらいの歴史しかもっていないのであるから、私たちには想像もつかないような世界を持っていても何ら不思議ではなかろう。そして海の中でドカンと核爆発の実験をする野蛮な生物のことをニガニガしく思っているのに違いないのである。
曲の前半は白石かずこさんが書いた日本語の詩を、2群の合唱があたかも二匹の鯨の会話のように歌い、後半は同じ詩をRoger Pulvers氏がとてもお洒落な英語に翻訳し、それを1群の合唱になって歌うという、とても凝った曲。三善先生も「人間もちょっといいメロディーもってるじゃないか」という鯨の言葉に発奮されたのだろうか…。


2曲目の「さまよえるエストニア人」は、大国に翻弄され続け、1991年にようやく独立を勝ち取ったバルト三国の一つ、エストニアに住む詩人のヤン・カプリンスキーが主人公。蜜蜂の巣箱をいくつか持っていた広い庭園のある祖父の家で1941年に生まれたヤンは、生後5ケ月の時、ポーランド人で大学教授だった父をスターリン率いるソ連に強制連行されて失う。ついで1943年、今度はヒトラー率いるナチスドイツが西からエストニアに侵攻、広い庭園のある家を追い払われ、街の共同住宅からシェルターを逃げ回ることになる。やっと第二次大戦が終結したかと思えば、今度は東西の冷戦時代。ヤンに平安が訪れるには、ベルリンの壁が壊れる1989年以降まで、さらに四十数年も待たねばならなかった。
このヤンのことを、白石かずこさんは、ワーグナーの「さまよえるオランダ人」にひっかけて「さまよえるエストニア人」と呼んだのだった。
三善先生は、このように書いておられる。


“地球上の人間同士の共存、人間と自然の共存を念ずる21世紀への祈りを、この二編の詩に託した。詩はしなやかに立つ「祈りの樹」であり、詩語は豊かに響く「祈りの果実」だった。二つの譚詩(オード:ルビ)は9月6日に書き上がった。5日後にアメリカで同時多発テロが起きた。ひび割れた地球に、この「祈りの樹」は黙するのか。「祈りの果実」は隠れるのか。… 詩は、さまよえる人に呼びかけた。「帆をたたんじゃいけない。今こそ」。詩のなかの鯨はつぶやいた。「人間も…み捨てたモンでもないネ」”


今、東京混声は、この曲を持って全国各地のアマチュア合唱団と共演してまわっている。曲の持つ崇高なまでの祈りと普遍性が、新しい出会いを宝のような繋がりへと変える。新生・豊混もまた、志を一にする仲間達「蜜蜂と鯨を歌う会」と「豊中ユース合唱団」との出会いの中から、21世紀の新しい展望を開いていきたい。